月刊 「ガバナンス」  - 分権オピニオン -

05年06月号 地方分権シンカ論24
県境を越えた広域的な連携で、新価値創造を

交通網やITが格段に発達したいま、一つの県だけで自立しようとしても限界がある。県としてのアイデンティティは保ちつつ、県の枠を越えて連携・協力する意義は大きい。積極的に情報公開し、互いに切磋琢磨することによって、新しい価値を創造できるのではないか。

「交流・連携」で開かれた三重に

三重県では1997年11月、約2年間の検討を経て、新しい総合計画「三重のくにづくり宣言」を策定した。そこでは、「開かれた三重を共につくる」を基本理念とし、「三重に住む私たちみんなで考え、行動して、新しい三重、美しく魅力ある三重をつくっていく」と宣言しており、そのポイントは、(1)人が元気な開かれた三重(2)地域が輝く開かれた三重(3)交流・連携の活発な開かれた三重――の3点だった。

この3番目の「交流・連携」とは、県境や市町村境を越えた広域行政を進めるということ。従来は、いかに定住人口を増やすかに力点が置かれ、交流人口に対する政治・行政のアプローチは乏しかった。交通網やITが格段に発達したいま、一つの県だけで自立しようとしても限界がある。もちろん三重県としてのアイデンティティは持つべきだが、一方で、県境の垣根を取り払い、積極的に交流を深めていくべきだと考えた。

その背景にあるのは、実は情報公開。従来は、「良いことも悪いことも隠せ」という文化だった。特に悪いことは、何としても隠そうとした。そんな閉鎖的、内向きの考えで、県が全体として評価されることは決してない。そうではなく、悪い情報も良い情報も出し合って、互いに切磋琢磨することが必要なのである

3県の連携で世界遺産登録

三重では、東海3県のさまざまな会議があったが、そのあり方を変えることに腐心した。どのようなテーマの会議でも、愛知、岐阜、三重の順で議事が進み、マスコミも同様の見方をしていた。規模的に愛知県がリーダー役になりやすいことは分かるが、互いに対等・協力の関係でなければ前向きの議論はできない。些細なことかも知れないが、繰り返し問題提起したところ、次第にみんなが気にし始めた。議論するテーブルが円卓になったり、話す順番も「次は岐阜県から」「今度は三重県から」などと変わってきた。

紀伊半島を構成する奈良、和歌山、三重の会議も不定期に開催されていたが、低調なものだった。それを定期的に開催することにし、職員の積み上げではなく、知事同士の議論で物事を決めていくことにした。知事の自由な議論の場から、新しい価値が生まれてくると考えた。

紀伊半島3県の連携から生まれてきたのが熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)の世界遺産登録に向けた取り組みだった。3県で01年5月に「世界遺産登録3県協議会」を発足させ、共同イベントの開催などを通じて、県民世論を盛り上げたからこそ、昨年7月の登録にこぎつけたと思っている。

三重県の伊勢湾から、日本海の若狭湾を結ぶ地域は、山あり海ありでバラエティに富む自然に恵まれている。その振興を図ろうと福井・岐阜・三重・滋賀の4県で「日本まんなか共和国」も設立し、共同で観光PRなどを行った。

三重は、関西では中部と言われ、中部では関西と言われる。それなら力を合わせて存在感を示そうということ。まず、各県で得意なテーマを二つずつ出し合い、互いにそのレベルまで引き上げようと競い合った。情報も出し合った。たとえば、危うく医療事故につながりそうな「ヒヤリ・ハット」の事例も、1県では数が限られるが、4県分を集計すれば、4倍の対策を考えられる。

三重県のNPOは、福井・滋賀・三重の3県フォーラムで育てられたとも言える。97年に3県の知事会議で、市民活動団体が集まってフォーラムを開くことで合意。1回目は滋賀県、2回目は三重県、3回目は福井県とリレー開催していく中で、市民は育っていった。そして、新しい文化を恬A出入揩オ、互いに高め合っていくという意識が職員にも芽生えていった。

一人称で話せる職員に

従来、県の枠を越えた連携は、変な対抗意識が働き、職員にはアレルギーが非常に強かった。政治家出身の知事だったからかもしれないが、私には何のこだわりもなかった。

知事同士のさまざまな会議ができたが、私自身はフレキシブルなものにするように努めた。あまり難しく考えず、互いの個性を尊重しながら、できることは一緒にやったほうがメリットがある。

トップがそのような姿勢を示せば、職員のビヘイビア(行動様式)も変わる。たとえば知事同士がラフな服装でフリー討議を行うなど、かつてならば考えられない文化だったはず。話し合ってみなければ結論が分からないという会議は、ヒエラルキー社会ではあり得ない。それを壊した。そこには、県庁全体の文化を変えていこうというねらいがあった。

私は知事時代、「知事が」「部長が」ではなく、「私はこう思う」と一人称で話せる職員をどれだけ増やせるかに力を注いだ。これは換言すれば、職員のエンパワーメント。他県に行った際も自分の言葉で堂々と意見を述べる。そんな職員が新しい価値を創造し、新しい県庁文化を創っていく。

「陳情合戦」から「政策合戦」へ

他県との連携を進める中で、改革志向の知事が集まって議論してはどうかという話が東京大学の月尾嘉男教授からあり、98年には、「地域から変わる日本」推進会議(現在は「地域自立戦略会議」)が発足した。当初は私と岩手・宮城・岐阜・高知の5県知事で発足、その後、鳥取県知事らが加わり、現在は7県知事と5人のアドバイザー(私も現在はアドバイザー)で構成している。

02年7月には知事と学界、経済界による「地方分権研究会」も発足し、地方からの構造改革によって、新しい「この国のかたち」の構築をめざしている。

従来、知事は補助金を獲得するため、国に「陳情合戦」を繰り返してきた。私はそれを「政策合戦」にしようと考えた。私が提唱したのは「カナリア方式」。どこかの県が「カナリア」として改革に挑み、うまくいけば他県も次々と取り組んでいく。そうすれば、いずれ国も変わっていく。

知事同士のフランクかつ自由な議論の中から、次第に地方分権を本気で進めていこうという意思疎通が図られ、機運が醸成されていった。その後、地方の真の自立に向け、三位一体改革へ向かっていったのは、必然的なことだと感じている。

(構成/本誌・千葉茂明)

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