月刊 「ガバナンス」  - 分権オピニオン -

04年07月号 地方分権シンカ論13
「混ぜればごみ、分ければ資源」の徹底で、8割のごみを削減

三重県は2001年4月に地球環境大賞(優秀環境自治体賞)を、02年4月には「自治体環境グランプリ」を受賞するなど環境政策でも全国をリードする存在となった。「環境先進県」を掲げた背景、そして職員の意識を大きく変えることになった「ごみ箱ゼロ作戦」はどのように導入されたのか――。

GDPからGPIへ

私は1995年の最初の知事選の公約に「三重を一流県に」と掲げ、その具体的政策では、従来のようなハード優先ではなくソフトに重点を置き、特に「環境」と「情報」を柱に据えた。

ハードではなくソフトに重点を置いた理由の一つは、衆議院議員時代から20世紀型の政治・行政のあり方に疑問や矛盾を感じていたからである。当時はまだ漠然としていたが、いま整理してみると、GDP(国内総生産)ではなく、GPI(Genuine Progress Indicator/真の進歩指標)という考え方を志向していたと思っている。

たとえば環境汚染や犯罪、事故などは社会的にマイナス要因だが、市場を通る経済活動ならばすべてGDPを押し上げ、あたかも経済が発展したかのような錯覚をさせる。一方、家事労働や子育て、奉仕活動などは社会的にプラス要因でも市場を通過しなければGDPに反映されない。

たとえば伊勢湾の環境が汚染されたとする。人海戦術で薬剤を海に撒いてきれいにすれば、市場を通るのでGDPはプラスになる。ところが環境汚染によって魚が棲めなくなったり、人体に悪影響を及ぼしても市場を通らなければGDPには表れない。

GDPが重要な指標であることは否定しない。しかし、戦後の日本は、あまりにも市場経済の拡大成長こそが絶対的な善だという考え方に支配されてきた。

知事や市長も工業出荷額が高まったり、子どもの大学進学率の向上などで評価されてきた。ところが工場誘致できれいな山や川が汚れてもいいのだろうか。学力偏重で、不登校やいじめが増えてもいいのだろうか。やはりGDPだけではなく、GPIの指標も掲げて行政・政治を行うべきではないか。

また、環境と経営は対立軸で考えられてきたが、私は環境と経営を同軸にしたいと考えていた。知事になったならば、ぜひとも環境に配慮した企業経営を行政としても支援し、そのことで地域経済も発展し、県民の幸せ感も高まるようにしようと考え、「環境先進県づくり」を標榜してきた。

「環境対応」から「環境保全」「環境経営」へ

60年代後半に相次いで公害問題が発生し、71年に環境庁が発足した。当時は、産業活動から発生する廃棄物にどのように対応するかという「環境対応」の観点から公害防止の法律ができ、四日市市でも大変な努力で公害を解決してきた。

それから30年経ち、00年に循環型社会形成推進基本法ができたが、「環境対応」から、廃棄物は抑制したりなくしたりできるものだという「環境保全」の考え方に変わってきた。やり方次第では廃棄物を出さない「ゼロエミッション」ができるし、リデュース(節減)やリユース(再利用)、リサイクル(再生利用)で環境を保全していこうという決意が出てきた。

私は知事時代に、環境経営の考え方を強く打ち出したが、そこではサスティナブル(持続可能)が重要な要素となった。環境に配慮しなければ、企業は生き残れない。ましてや公共事業体は率先して環境に配慮しなければいけない。企業が利益を追求するのは当然だが、同時に環境に配慮することはCSR(Corporate Social Responsibility/企業の社会的責任)である。このような考え方を民間企業に働きかけていくには、まず県庁から環境問題に取り組もうと思った。

「ごみ箱ゼロ」を提案

職員の意識改革を図る上で大きな効果があったのは、県庁内の「ごみ箱ゼロ作戦」だった。私は実は、衆議院議員時代にも、国会や官庁のごみ箱をなくそうと働きかけたことがあった。けれども、当時は全く相手にされなかった。

99年8月の部長会議で「率先実行で、県庁内のごみ箱をゼロにしよう」と提案したところ、部長からは「そんな荒唐無稽なことはだめだ」とか「整理整頓など5S運動をやっている。そのほうが現実的な政策では」など次々と反対論が出された。

これらはもっともな理屈だが、私の考え方は違った。「5S運動で、前年よりもごみの量を1割カットしようという考え方は誠に正しい。しかし、それは日常の努力であり、そこには、ごみをゼロにするという発想はない。ごみが出なければ机の付近にあるごみ箱はいらない。そういう物事の本質を追求してみようという問題提起をしているのだ」と話した。この問題だけで延々3〜4時間も議論し、ようやくこの年の10月から実行することが決まったのだった。

改善ではなく、イノベーション

個人の席のごみ箱はすべて撤去し、その代わり各課ないしは各部ごとにリサイクルボックスを設置した。リサイクルの分別ボックスは紙、アルミ缶、スチール缶、ペットボトル、金属など15種類に及んだ。コピー用紙は両面使用とするため、裏が白い用紙をストックするボックスも用意。また、廃棄公文書の処理のため、庁舎の地下に大型シュレッダーを導入し、裁断・圧縮して再生コピー紙などのリサイクルに回すことにした。

私は、ごみを前年度よりも10%減らそうという努力を否定しているわけではない。日常の努力がなければ、ごみ箱をゼロにしようという非日常の発想自体、生まれてこない。しかし、日常の努力でできるのは改善であり、私が求めているのはイノベーション(革新)、新しい価値の創造だった。

職員は当初、「面倒くさい」とぶつぶつ文句を言いながらやっていたが、そのうち楽しそうにリサイクルボックスに入れるようになった。そして、目に見える成果を出すのが大事。「混ぜればごみ、分ければ資源」であることを徹底的に行ったところ、ごみの量は何と8割も減った。

職員はみんな分別の必要性を認識している。ところが身近にごみ箱があるとついつい捨ててしまう。ごみ箱がなくなって初めて分別を実行するようになった。
「ごみ箱ゼロ作戦」は、理論の積み上げではなく、ゴミ箱がなくなるという決定的に不便な「形」から入った政策だった。しかし、だからこそ議論が巻き起こり、大きな成果をもたらしたと思っている。

(構成/本誌・千葉茂明)

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