月刊 「ガバナンス」  - 分権オピニオン -

03年11月号 地方分権シンカ論5
サービスの受け手の側に立った予算編成を

バブル経済の崩壊、そして景気の低迷で、地方自治体の財政は危機的状況を迎えている。その中で自治体の財政運営、予算編成はいかにあるべきなのか。三重県で2002年度から政策推進システムと連携した「包括配分方式」を導入したねらい、そして首長の役割は――。

「包括配分方式」は当然の帰結

私が知事に就任した1995年当時は、すでにバブル経済が終わり、県財政はかなり厳しい状況になっていた。景気が好転してほしいと願ってはいたが、その後も予想以上に景気は低迷し、税収もさらに落ち込んでいった。ですから、私の知事時代の8年間は、マイナス傾向のなかでの財政運営を余儀なくされたのです。

もちろん徹底的にムダな予算の歳出は抑えたが、同時に、前例踏襲で予算をつけるといった県庁の体質を変えることが必要だと感じ、96年度の当初予算編成から取り組んだのがマトリックス予算です。これは、総合行政として機能するよう部局と施策を縦横のマトリックスで考え、部局横断型の施策の推進を重視する予算編成です。

その後、「公的関与の考え方」に基づく事務事業の見直し、事務的経費の総額配分、発生主義会計の導入、予算編成過程情報の公開などを行い、2002年度からは政策推進システムと連携した「包括配分方式」を導入し、従来の「予算重視・計画主義」から「決算重視・成果主義」に大きく予算編成のあり方を変えたのです。

包括配分方式は、それぞれの政策担当部局が生活者起点の県政を実現するために、責任と権限をもって政策立案―執行―評価を行えるよう行政経営資源である事業の財源をあらかじめ施策単位で配分しようというものです。

もちろんNPMの基本的な考えは頭に入っていたが、改革当初から包括配分方式を描いていたわけではない。いま振り返ると、私も職員も試行錯誤を重ねることでだんだん進化してきたのです。

ただ私が基本的スタンスとして持っていたのは、サービスの受け手の側に立った改革であること。そのことは職員にも繰り返し話した。そして、最も大事なことは、何のために改革を行うかについて県庁職員全員が共通認識を持つことです。

三重県で言えば、それは生活者起点です。生活者起点をベースに考えると、前例踏襲の積み上げ型の予算編成は内部を向いたものでおかしいことに気づく。そして、財政や人事部局が県庁を仕切り、感動のない、全く新しい価値をめざさないような仕組みは断固廃止しなければならないという強い思いが私にはあった。その意味では、政策担当部局が直接、予算を自己決定していくのは当然の帰結なのです。

現場にこそ神が宿る

包括配分方式は、予算編成の権限を各部局に移譲するもので、部局側には不安があったかもしれない。しかし、財政課の財政規律に縛られていたら、部長はなんのための部長なのかということになる。自分の部局の予算を編成することは部長自身の達成感につながる。現場にこそすべての神が宿っているのに、財政に責任転嫁するのは責任放棄じゃないかと私には映るわけです。

包括配分にしてから、部局長のマネージメント能力は急速に高まってきた。というよりも高めざるを得なかったと思う。

これまで恪熕ュのプロ揩ニいうと、予算を削ることが仕事だった。しかし、たまたま財政課に配属された職員が県政全体を見通して予算編成できるわけがない。だから私は、部局への権限移譲と同時に、98年に三役と各部局長、県民局長など幹部で構成する「財政会議」(2001年から「県政戦略会議」)を設置して、ここで中期の財政見通しや予算編成の基本方針、県財政に重要な影響を与える事項を議論するようにしたのです。

裁量をなくし、説明責任を

予算編成では、最終段階で「知事査定」というものがある。しかし、現実には査定というより、知事が予算をつけられるように配慮してあるものだった。知事査定で私が「もっと予算を削れ」と言ったので、みんなびっくりした。

私は予算編成において、知事の政治的裁量の部分をなくしたほうが身軽になると思っていた。もっと言うと、首長だけでなく職員も含めて行政は裁量部分をなくしていったほうが対外的に説明責任を果たすことができる。たとえば、業界団体などからクレームがあっても「これはルールに則ってやっているのでできない」と言える。

そこが情報公開のすごさです。なまじ隠そうとするから、言い訳せざるを得なくなるのです。

そのためには発想の転換が必要であり、職員の意識改革を徹底的に行った。特に部長は、組織定数と予算を増やすことを自分の仕事と考えていたが、私からみれば全く違う。私が各部長に与えたミッションは、「自分の部の組織定数と予算を減らすこと。そして何倍もの仕事をすること」です。部益あって、人と予算を増やそうというパーキンソンの法則を北川県政は絶対認めなかった。

自分たちの町のことは自分たちで決める

県財政は一般的に人件費比率が高く、景気の悪化で法人2税は落ち込む一方です。いまいわゆる税財政の三位一体改革の議論が盛んに行われているが、結局は、抜本的な改革をしなければ財政状況はよくならない。財政を健全なものにするには地方分権を推進することです。権限と税財源が移譲されれば責任が発生する。すると地方自治体は、最小の費用で最大の効果を上げようと努力する。

現在は、地方交付税や国庫補助金などがあり、自主努力で切りつめるだけ損だというシステムです。そんなばかげたシステムは絶対に変えなければならない。
 地方分権が進めば、職員数も予算も現在の半分で、2倍,3倍の効果を絶対上げられる。いまは全くインセンティブが働いていない。なにも行政職員だけでやることはない。住民と協働してパブリックな事業を進めるシステムをつくっていけばいいのです。

自分たちの町のことは自分たちで決めるという精神が住民に根づいていけば、ムダな公共施設や公共事業なんてなくなる。そのためには住民の意識改革も必要です。このようなことを成し遂げた町が一流の町であり、一流の県になると思う。

さらに言えば、首長の評価の尺度も変えていかないといけない。もちろん、ねじを埋め込むような日常の努力は不可欠だが、一方でその中から非日常の発想が出てこなければ、いまの閉塞状況は打開できない。そういう首長が増えるためにもマニフェストの導入が必要なのです。

(構成/本誌・千葉茂明)

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