月刊 「ガバナンス」  - 分権オピニオン -

03年10月号 地方分権シンカ論4
先延ばしせず、結論を出すのがトップの責任

北川氏は知事時代に政治的決断をどのように行ったのか。全国に衝撃を与えた芦浜原発白紙撤回と、企業誘致における前例のない大型補助制度創設を例に、首長の政治的決断の手法を考えてみたい。

「地域を統括する」知事として決断

芦浜原子力発電所計画については2000年2月22日に白紙撤回を表明したが、そこに至るまでには過去の経緯や立地した場合・しない場合のメリット・デメリットなどを何百回と議論してきた。議論の中から、エネルギー政策は国策であり、原発の立地については国や関係市町村、事業者間の問題で、知事には何ら法的権限がないことが分かってきた。しかし、県議会において97年には、計画に冷却期間をおいて早期決着を求める請願が採択され、地元の町からも決断を求められている状況だった。

その中で知事としてどうするか。法的権限があるわけではないので、これは政治的決断をしなければいけないと思った。発表のタイミングも重要だと思った。私の見解に対して、地元の町や国、電力会社が理解してくれなければ、私はピエロになる。その覚悟はあったが、同時に政治的インパクトが必要だと考えたのです。

知事見解を発表するまで、私自身は全く態度を明らかにしなかった。日本のエネルギー政策に大きな影響を与えることになるし、計画提示以来37年間も推進・反対で地域が対立してきたことを考えたとき、軽々に発言すべきではないと思っていたからです。賛否両論の渦の中で、この問題はゴールなきマラソンだった。それをこのまま放置していいのかという思いが強かったのです。

見解は、地域を統括する知事として総合的に勘案した結果、現状では計画推進は困難であるというもので、37年間の苦渋を察してほしい、そのためには白紙撤回してほしいという要望にすぎない。しかも事の性格上、事前に調整できないことでもあった。結果として、事業者や国、地元の町にも見解が理解され、計画が撤回されることになったのです。

自己決定・自己責任のターニングポイントに

私が知事になったとき、三重県には三つの大きな課題があった。一つはこの芦浜原発で、他は木曽崎干拓と中部国際空港です。私はこの三つは過去のしがらみを絶ち、断固決着をつけようと固い決意を持っていた。

いずれもかれこれ40年間も引きずっていた問題で、私は任期中に三つとも結論を出した。結論を出すことがトップの責任だと私は思っている。その結論の出し方がよければ再選されるし、悪ければ落選するという形にしなければいけない。結論を先延ばしするのは、もう今の時代では通用しない。

エネルギー政策は国策だから、原発立地には知事の権限がないから何をやっても無駄だ、あるいは国の方針に逆らうと江戸の仇を長崎で討たれるとみんな思っていた。私は地方分権一括法で地方自治体に自己決定・自己責任の習慣ができてくればいいと考えていた。ある意味で、芦浜原発の件はそのターニングポイントになったのかもしれない。

ワンストップサービスで誘致活動

シャープ(株)の液晶テレビ一貫生産工場の誘致も、15年間分割で最大90億円の補助金を支出するという新しい支援制度を創設して、亀山市に誘致することに成功した。これも相当長い経緯があった。

すでに三重県多気町にシャープの第1,第2工場があり、第3工場の用地もあった。県では私が先頭に立って第3工場を早く建ててほしいと要望活動を行っていたんです。既に立地しているシャープの液晶ディスプレイ生産工場を中心に、関連企業の集積を図る「クリスタルバレー構想」もまとめた。

企業誘致ではワンストップサービス、つまり担当者を企業に張り付け、つらい話も含めて交渉を行った。これを徹底したことが誘致の大きな決め手になったと思う。お客様の都合によって行政を変えるのはすごい、とシャープ側は大変興味を示した。

亀山市に液晶テレビ一貫工場を建てることで、かねてから狙いをつけていた多気町の空き用地にも新しい工場を建ててもいいという話が次第に出てきた。いろいろな計算をして90億円を弾き出しているが、途中で撤退したら返済してもらうといった条件をつけ、また、10年間ほどで補助金に見合う額が税収として想定されるといったことも含めて、私が最終的に決断したわけです。

例えば90億円を支出して、官だけで1万2000人を越える雇用効果、4,000億円の出荷額を上げることなどできない。情報公開し、民の力を借りるほうが実現性が高い。こちらが決断しなければ、工場は中国に行っていたかもしれない。中でも重視したのは雇用効果でした。

誘致は一つのきっかけ

シャープの誘致は、2002年2月に発表したが、その後、議会からは説明不足だとずいぶん厳しく追及された。さらに情報公開し、県民にさらに分かりやすく説明してきた。県のやり方が悪かったら直せばいいし、議案を否決してもらえばいい。議論することで行政はもとより議会も進化していく。

誘致によって亀山市や多気町では自立に向けた動きが進み、国も動いた。やり方によっては製造業も日本に残れると示すことができたのです。全国各地で地域の特色に応じて、知恵を出し、刺激しあうことで、日本全体が活性化されていく。そのことで日本を覆っている閉塞感を払拭できるという思いもありました。

また、誘致に関連して、総合企画局に「プロジェクト怩b掾vというプロジェクト推進グループを設けたのも特色だった。これは産業政策とともに魅力ある地域づくりを行うというもので、行政のあり方を変えることにつながった。新年度が始まった4月下旬に9人で発足したが、みんな一時ノイローゼ気味になった。頼るべき国の省庁も前例もなかったからです。しかし、すぐに回復し、市や町、民間企業へ出かけ、叱られながらも進化してきた。新たなことに取り組み、それが県庁全体のビジネスモデルになっていけばいいと私は思っていた。

このプロジェクトは県職員にも大きな影響を与えたと思う。つまり自分たちの力でできることを示したのです。だからシャープの誘致は一つのきっかけだということを私は盛んに言った。誘致をきっかけに地域が自立していけばいい。地元の市長や町長は本気で日本一のエコシティをつくろうと意気込んでいる。誘致がきっかけとなり多くの「北京の蝶々」が羽ばたく。私はその相乗効果をいつも考えていたのです。

(構成/本誌・千葉茂明)

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